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出雲旅日記 [旅]

2月に思い切って出雲に行ってきました。お伊勢さまか出雲大社かどちらか行きたいと思っており昨年友人にお伊勢さまからお守りをいただいてきてもらったので出雲にいくことにしました。1泊2日なので、すぐ終わるかもですが旅日記。ぼちぼちと。。。旅日記は墨絵です♪
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出雲市駅ついたらすぐに一畑電車に乗って雲州平田へ。映画「RAILWAYS 49歳で電車 の運転士になった男の物語」の舞台となった2両の可愛らしい電車。この映画、舞台挨拶の時に連れてってもらったのでとてもよく覚えていて実物に乗ってちょっと嬉しかったです。「ばたでん」というのだそう。http://www.kankou-shimane.com/mag/mov/railways/index.html
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一畑電車。アテンダントのお姉さんがいました。制服と斜めにかけたがま口かばんが可愛らしい。乗車券・電車グッズ販売、観光案内や乗降介助などのお仕事をする女性です。自転車の持ち込みもOK。1台300円。平日だったので観光客も少なく学生さんや地元の方がほとんどでした。
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一畑電車。無人駅には地元の中学生などがの描いた出雲神話の壁画がありました。ほのぼのしてましたが刀剣突き付けたり石をぶん投げたりしてる絵はちょっとこわかったです。ばたでんには合計4回乗りました。桃色のラッピング電車も乗りました。http://www.ichibata.co.jp/railway/wall-art/index.html
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山奥の浮浪山鰐淵寺(がくえんじ)にようやく到着。伝承では594年に建立。信濃の智春上人が当地の浮浪の滝に祈って推古天皇の眼疾が平癒したことから、同天皇の勅願寺として建立。鰐淵寺の名前は、智春上人が浮浪の滝のほとりで修行を行っている際に誤って滝壺に落とした仏器を、鰐鮫(わにざめ)がその鰓(えら)に引っ掛けて奉げたとの言い伝えから。
寺宝はきわめて多いらしく、銅造聖観世音菩薩立像などの重要文化財も(今は非公開)。2005年、重要文化財を含む所蔵品が盗難被害に遭ったとも教えてもらいました。
境内の紅葉が美しく色付く時期には沢山の観光客の方たちが訪れるそうですが私がいった時には貸し切り状態で静寂に包まれておりました。建物はふるく灰色。朱と灰色が美しかった。
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鰐淵寺は平安時代末期には修験道の霊地として広く知られており、出雲大社と関係を深め室町時代までは大変栄えていたそうです。「僧兵がね、沢山修行していたそうですよ」と昨日のことにように教えてくださいました。苔むした石段。
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弁慶伝説。弁慶は1151年松江に生まれ、18歳から3年間鰐淵寺で修行をしていたとされています。その後京都の比叡山へと移り、源義経に出会いました。そして壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした後再び鰐淵寺に身を寄せました。 この際、弁慶は大山寺(現在の鳥取県大山町、山中の寺)の釣鐘を、この鰐淵寺まで約101kmある山道を一夜にして担いで持ち帰ったということです。
若いころの弁慶ってなんかいいわ~♪って、若き日の弁慶のつもりで描いていたら釣鐘を運んだ時は若くなかったんだったわっ!。。。
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浮浪の滝。鰐淵寺の名前の由来にもなった浮浪滝。修験者の守護神”蔵王権現”の聖地とされ、石段下から谷川沿いの小道を8分ほど行ったところにあります。滝の奥には蔵王堂があります(写真:蔵王堂まではいけませんでした)。弁慶もこの滝に打たれて修行したと伝えられています。
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雪がまだらに残る小道を歩きます。
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滝壺は気持ちいいよ~と教えてもらって案内してくださった方よりもどんどん先に昇っていきました。滝壺の水をぴちゃぴちゃ触るまでは良かったのですが降りる段になってずるずる滑る岩におののきました。どうやって昇ったのかしら。私。。
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子供が来たらすごく喜びそうな場所なのですがここまで来る人は少ないのだそうです。


浮浪の滝。小道で鹿のフン。まだ新しい鹿のフンを見かけました。この地域の鹿の被害は大きいらしく、案内された方いわく農家の人は鹿に食べさせるために作物を作ってるみたいになっているそうです。イノシシもでるそうです。網(鹿除け)やらトタン(イノシシ除け)やらよく見ました。そういえば、狼を復活させようって話を大学の時に聞いたことあったな。。
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平田木綿街道。東西を貫流する船川と水路に恵まれたこの地域は、古くから商家の荷を運ぶ市場町として利用されてきました。特に江戸末期から明治初期にかけて、「平田木綿」が高く評価され、船川周辺は木綿の集散地として多くの船が往来。賑やかな市場町として発展しました。
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平田木綿街道。「黒瓦」や「なまこ壁」、「格子窓」の連なる二階建妻入り造りの町家が建ち並ぶ。短い距離の間にも「酒蔵」や「しょうゆ蔵」が何軒かありました。美しい街でした。
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その中の來間屋生姜糖本舗で生姜糖を購入。
http://www.syougatou-honpo.jp/
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平田一式飾。町のいたるところにあります。最初はちょっとびっくりしました!仏具、陶器、金物、茶器などを使い分けて神話や映画の登場人物、場面など、技巧を凝らし飾り競いあう。出雲市に二百年来伝えられる。寛政5年(1793年)原因不明の悪病が市街地に大流行した時、平田寺町の住民で表具師であり、彫刻、俳諧もよくしたといわれる風流人桔梗屋十兵衛が茶器一式で大黒天像を作り、悪病退散を祈って天満宮の神幸式(おたび)に奉納したのが始まり。
http://www.hirata-cci.or.jp/kazari.htm
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須佐神社行きのバス停。出雲旅一日目の午後は須佐神社を目指します。バス停でバスを待っていたら地元の人が須佐神社に行くなら帰りのバスまでずいぶん時間があるから温泉に入ってきなさいと勧められました。!いいこと聞いた!(^-^)!
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須佐神社。全国には須佐之男命ゆかりの神社が数多くあるが、ここは唯一須佐之男命の御魂を祀る神社。
ヤマタノオロチ退治で有名な須佐之男命(すさのおのみこと)に関わりが深く、『出雲国風土記』に、須佐之男命が当地に来て最後の開拓をし、「この国は小さい国だがよい国だ。自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたと記されている。
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須佐神社大杉。社殿の後ろに立つ。推定樹齢1300年。幹周りは6メートル、樹高は24メートル余りのまれに見る巨木。説明板によると、「此の大杉は昔、加賀藩から帆柱にと、金八百両で所望があった時、須佐国造がこれをことわったと伝えられている」
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佐田町須佐。須佐神社をお参りした後、周辺を散策しました。須佐神社脇の川。川床が岩で黄土色、川の水も鉄分を多く含んでいるような赤さび色。ヤマタノオロチは鉄(タタラ製鉄)から生まれたという説もあるそう。
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佐田町須佐。田んぼのある冬の景色。私の実家の周りもこんな感じです。でもここは出雲の山間部。製鉄がさかんであったと記された説明板がありました。
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とことことあぜ道を歩いていたら広場が見えたので行ってみるとドクターヘリの離着陸場がありました!


須佐温泉。行ったのは2月だったので冷えました。露天風呂であったまる。平日の夕方で貸切状態でした♪第三セクターのやってる温泉だそうで入浴だけだと500円くらい。宿泊もできるそうですよ。
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それでも時間があったのでバスの時間まで地元のJAスーパーを探検。葉物は島根のものが多いけど果物とかは他の県になるのだな~、お惣菜の値段は東京とかわらんな〜などと。そんな感じで一日目終了です。

二日目。暗い中、始発電車に乗って出雲大社へ。地元の高校生ばかり。車中で日の出を拝みました。
学校のある駅に自転車が置いてあってそれに乗って通ってるみたいでした。
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ほとんどだれもいない出雲大社前駅。一の鳥居まで戻って参拝しました。神門通りにはお土産屋さんやお食事処があります。まだどこも開いてません。寒いけど気持ちいい。
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出雲大社前駅(一畑電車)より少し離れた所には廃駅となった大社駅(JR西日本)がありました。出雲大社前駅は昭和5年建設の白いドーム天井とステンドグラスがはめ込まれた西洋建築。大社駅も負けないくらい素敵です。廃駅なのが残念。
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神門通りは平成の大遷宮を機にアスファルトから石畳に舗装を一新したのだそうです。参拝後戻ってみると新しいお店も次々とオープンしているようでとても活気がありました。


二の鳥居前。神門通り(上り坂)のさき。ここには以前大きな芝居小屋があり、大勢の人が集まりました。そこで、人の勢いが溜まる場所=「勢溜(せいだまり)」といわれています。勢溜にて、はい♪チ~ズ♪
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旅日記:漆ノ四。出雲大社。神社などではめずらしい下り参道をおりながら神聖な領域に入ってきます。参道の真ん中は歩かず。きょろきょろ、きょろきょろ。まだまだ改修工事中。夕方再度行った時には入れないところにもいけたので早朝に行って正解でした。改修をやっている方や神職の方たちとも挨拶。朝は気持ちいい!
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出雲大社拝殿。長さ6m、重さは1.5トンある拝殿の注連縄。隣の神楽殿には長さ13m、太さ8m、重さ5トンの日本一の大注連縄がある。
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出雲大社では「2礼、4拍手、1礼」。黙想。
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出雲大社の60年ぶりの遷宮は屋根の葺き替えや修理を行い本殿そのものを建て替えるわけではありません。(伊勢神宮は 内宮・外宮・御垣内の建物をすべて新しく造り替えます。)今回の改修では、約64万枚という膨大な檜皮(ひわだ)が葺(ふ)かれました。檜皮を固定するために使用される竹釘。燻した竹は腐らず虫もつきにくく、丈夫なのだそうです。
伊勢の20年に比べて60年という時間は技術の継承には開きすぎている気がします。(20年だど20歳の時参加して40歳、60歳でも参加できそうです)そんな中でも今回は調査によって先人の様々な技と工夫が明らかになりました。本殿大屋根には「ちゃん塗り」と呼ばれる特別な工法が使われていたことが分かり、約130年ぶりに「ちゃん塗り」を施した大屋根が再現されました。
「ちゃん塗り」:鬼板や千木・勝男木などを覆う銅板には、松ヤニやエゴマ油、鉛、石灰を混ぜた塗装。銅板は表面に緑青(ろくしょう)ができると丈夫で長持ちするが、緑青ができるまでの期間この「ちゃん塗り」が保護してくれる。
また、本殿の修造には、震災被害にあった東北地方の木材なども使用されているそうです。
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どうして遷宮が行われるのだろう?と疑問に思っていたのですが、諸説あり、
・建替えの技術の伝承を行うため
・常に新たに清浄であること(「常若(とこわか)」)を求めるため
などと言われており、定説はないようです。
20年とか60年とかの年数もなぜかしらと思います。

伊勢は20年。江戸と上方(関西)の間に存在し、お伊勢参りが大流行した江戸時代のことを考えても観光で人や経済が動くのにも役立っているのでしょう。


出雲大社。神職の方たちの袴の色がいろいろ。経歴や地位、功績によって違うのだそう。おはようございます!とビジネスバッグで出勤の方を見かけたのも新鮮でした。若い方も沢山いるなぁと思ったら近くに学校もありました。
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出雲大社東方200mほどにある神皇産霊神(かみ むすびのかみ)を祀る「命主社」(いのちぬしのやしろ) 。ムクノキの巨木に吸い込まれるようにして参拝してきました。ここは前もって調べていたわけではないのですが、ほんと、す~っと吸い込まれました。
寛文5年(1665)の出雲大社御造営にあたり、命主社の裏の大石を石材として切り出したところ、銅戈(どうか)と硬玉製勾玉(こうぎょくせいまがたま)が発見された。この二つが一緒に発見された例はここ以外にない。銅戈は北部九州産、ヒスイの勾玉は新潟県糸魚川産の可能性が高く、北部九州、北陸と交流があったことを物語る。銅戈と硬玉製勾玉画像http://www.manabi.pref.hiroshima.jp/rekimin/info_tenjikai21-aki-manai.html
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真名井の清水。出雲大社より 東方500mほどにある湧き水。島根の名水百選に選ばれている。
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いろいろ見て回っていたらバスに乗り遅れてしまった。。くたびれたので屋根つきのバス停でぼんやり。そして文庫本を読みながらバスを待つ。旅先に本を持ってゆき、帰宅後、旅の空気をを思い出しながら続きを読むという楽しみを見つけました(^-^)
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路線バスに乗って出雲大社から日御崎(ひのみさき)へ。
バスは貸切状態でした。途中、海岸の岩が美しい。「イワ~」「イワ~」
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墨絵で見たことのあるような風景。昔の名所図会そのままの景色です。その中で釣りをしている人もいました。
釣り宿もあり、よく釣れるそうですよ。自然は変わらないのですね。また行きたいな~
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日御碕神社。徳川家光の命により作られた朱塗りの権現造り。
丁度こちらも出雲大社と同じく改築中でしたが坂の上から見た朱色の建物には、はっと目を奪われました。
http://www.shinbutsu.jp/51.html
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現在の日御碕神社に祀られる前に天照大神が鎮座されていたという経島(ふみしま)。無人島です。
昔は神職以外の上陸は禁じられていたそう。
ウミネコの繁殖地で沢山いました!
柱状節理の石英角斑岩からできていて、それが「経典」を積み重ねたように見えるので「経島」という名前がついたんですって。
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日御碕灯台。
明治36年(1903)に設置。高さは43.65m、海面から灯塔の頭上までは63.30m。高さ日本一。
「世界の歴史的灯台百選」に選ばれています。美しかったです。
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内部はこんな感じ。レンガと木で出来ていました。階段が急!
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昇りました!恐かった~。写真を撮りましたが、高い所が恐くて、いつも以上に顔がしわしわで目がぎょろぎょろしていて載せられません(笑)足が、がくがくしています。
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でも上からの景色はサイコーでした♪こわかったけど~昇ってよかった~
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灯台下の入り江は大小の島が形よく並び東北の名所松島にちなんで、『出雲松島』と呼ばれているほどです。
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20代くらいまでは名所の良さが正直あんまりよくわかんなかったんですけど、
今はすこしずつわかるようになってきたかも。

日御碕をあとにして出雲大社へ戻ります。

『稲佐の浜』の「弁天島」。国譲り、国引きの神話で知られる浜。
旧暦10月の神在月に、全国の八百万の神々をお迎えする浜です。
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桜貝の貝殻。壊れていない桜貝をこんなに沢山見たのは生れて初めてです。
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ウニもいた。
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稲佐の浜から出雲大社まで近かったので歩いて戻ることにしました。
すると『出雲の阿国のお墓』がありました!せっかくなのでお参りしました。
生家中村家の墓の隣にあります。
今でも、芸能関係者や歌舞伎ファンなど多くの参拝者がいらっしゃるそうです。
阿国は本当に生きていたのだなぁ。
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そこにあったパンフレットに以下のように書いてありました。
「歌舞伎の創始者と知られる出雲阿国は、出雲大社の鍛冶職中村三右衛門の娘で、
出雲大社の巫女であったといわれています。阿国は出雲大社の本殿の修理費勧進のため、
大人たちとともに諸国巡業に出ました。踊り好きで、才能もあった阿国は、
京都で念仏踊りを上演して人気を博し、出雲阿国の名は都中に広まりました。
なお、阿国は当時かぶき者の代表的存在であった名古屋山三亡き後、
自ら男装し、最先端のファッションで歌舞伎踊りをして、一世を風靡しました。
また、晩年は大社に帰り、尼となって智月と称し、連歌庵で連歌と読経三昧の生活を送り、
静かな余生を過ごしたといわれています。」
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阿国コスプレ♪
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出雲大社に戻って出雲そばをいただきました!
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割子そば(薬味:ねぎ、もみじおろし)、刺身、たまり醤油、シジミの味噌汁、
アゴ(トビウオ)のちくわ、ご飯。
出雲のそばの特徴:蕎麦粉を作るときソバの実を皮ごと石臼で挽くためそばの色は濃く黒く見え、香りが強い。だしを直接蕎麦にかけ絡めて食べる。
左上はだし汁の入れものです。だし汁は甘めでした。


旅の最後は「島根県立古代出雲歴史博物館」
出雲大社の隣にあります。2007年にできたわりかし新しい博物館です。
「歴史好きだと一日いても飽きないよ~」と地元の人にも勧められました。
入場料:常設展610円
http://www.izm.ed.jp/cms/cms.php?mode=v&id=19
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平安時代の出雲大社の推定復元模型。
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48メートルの高さがあったのだそうです。まだなぞに包まれています。
もし実物を見ることができたならば神様の厳かさをより一層感じそう。これを再現したら参拝客を制限しないとすぐ壊れてしまいそうですね。
巨大神殿の焼失後、本殿は次第に規模を小さくしていきました。史料などによると、でもそれはあくまでも仮設で、いつか本来の巨大神殿に戻そうという意識は受け継がれていたそうです。

他にも出雲大社の史料がたくさん展示してあります。
350年前は三重塔があったりして(神仏習合時代)時代の背景が見てとれます。

天秤ふいご体験。
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日本で独自に発達した鉄作りの技術「たたら」。炉の中で木炭を燃やして砂鉄をとかして鉄を作ります。江戸から明治にかけて島根のたたらで作られた鉄の量が全国で作られた鉄の半分以上を占めたこともあるそうです。
たたら吹き製鉄は、三日三晩不眠不休でふいごを踏んで炉に風を送らねばなりません。江戸時代「天秤ふいご」の出現で従来より少ない人数で作業ができるようになりました。
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「番子(ばんこ)」とよばれる職人が天秤ふいごに上がり、一人か二人で交替しながらふいごを踏みました。「かわりばんこ」の語源はこれからきているのだそうです。たたらを踏むのは厳しい仕事です。辛さを紛らわす『たたら歌』を歌いながら、大勢の番子が交代し踏み続けます。

天秤ふいご体験。ちょこっとやっただけでも太腿の内側が痛くなりました~><
番子体験ダイエット♪かなり効きますよ~。
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銅剣、銅鐸、銅矛419点!圧巻!
出土した銅剣と、その成分を分析しつくられたピカピカのレプリカとが一緒に展示されています。
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出雲地方から大量の青銅器は出土したことは弥生時代像を大きく変える大事件だったそうです。1984、5年と1996年に出土されました。

銅鐸=「かね」のレプリカで音を鳴らしてみたりもできます♪
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古代の楽器。細腰鼓(8世紀)と箏の復元品。
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どんな音がしたのでしょうね。鼓は今の大鼓とあまり変わらないように見えます。
近くでは「古代出雲の愛の物語」という創作アニメが流れていました。

神話シアター。
私のこの博物館の一番のお目当て。
古事記が荒唐無稽過ぎて(あと神様の名前が長すぎて(^_^;))どうしても頭に入らなかったのです。。
映画で観たらわかるかな~アニメかな~などと期待しながら席に座りました。そうしたらなんと!実写!びっくりしたなもう。。。
で、内容は……面白かったです!すごく親しみがもてました。
神話の示す人間の根本的疑問への解釈もわかりやすかったです。
改めて古事記を読みたいと思いました。
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A. スサノヲ神話(20分)
B. オオクニヌシ神話(20分)
C. 風土記神話(20分)
D.中世のヲロチ神話(20分)
全部観ました!

泣き虫で暴れん坊だったスサノヲが愛する人に出会ってその人のために戦う。また、その人のために詠んだ歌が日本で最初の和歌だなんてロマンチックだわ、などと。
個人的に好きな神話は芋の船に乗って蛾の着物を着た神さまが海からやってきて大國主命がその人が誰なのか聞いたらヒキガエルが案山子に聞けばわかりますという話。いろいろ裏の意味を知るのも楽しいしそのままでも面白い。
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出雲旅日記はこれでおしまいです。
長くお付き合いいただきありがとうございました!
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